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ジュゴンの家・日誌
「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。
「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。
「力になろう!」という皆さま!!
ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします!
会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。
  住    所 沖縄県名護市城2-13-2
  電話&FAX 0980−54−2948 
   e−mail   dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp
会費・・・月1000円、年10.000円となります
同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで

よろしくお願いいたします
                  クリッククリック→

2006年 目次へ


1月@
参加者募集!!!
基地建設阻止行動およびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!

基地建設阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
 辺野古では日米政府が「沿岸案」を合意し、座り込みはまだまだ続いています。。今後も基地建設を止めるには多大な資金が必要になると予想されます。全国の皆さんにカンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古での基地建設阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!




「名護街宣大作戦!」のお知らせ

 名護市民は辺野古に注目しています。でも、なかなか現場に来ることができない、きっかけがつかめないという人達のために、辺野古の現場でおこっていること、今、名護市の全体の力が必要だということ伝えに名護市街へ出て行きませんか?


                        

☆飛び入り大歓迎!!

     一緒にビラまきをしたい人を募集しています。

 私たちは毎週土曜日、海上行動隊、海人のマイクアピールや
 ビラまき、写真の展示などを行います。皆さんもぜひご一緒に
 参加してください!!


☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止)
      14:
30 じゅごんの家集合!!(名護市城2−13−2)
      15:00 為又・
「洋服の青山」前で街宣開始!
      17:00 「じゅごんの家」でミーティング


「市長に会いたい!ランチタイム市役所行動」は、12月5日(月)をもって終了となりました。
2ヶ月間市役所に通いましたが、市長は一度も市民の前に現れることはありませんでした。


2006年
 あけましておめでとうございます。
今年も、元気いっぱい!!じゅごんの家を
よろしくお願いいたします!

1月7日(土)
第33回 名護街宣大作戦2006
決行!!
今日のチラシは、昨年の年表を載せた新年のごあいさつ。「2006年は絶対基地建設白紙撤回に!!」 座間からいらした女性の方々が初参加!
今日は結構寒く、途中から雨も降ってきたので、「大丈夫ですか・・?無理しないでくださいね」と声をかけたところ、「大丈夫よー!風邪なんかひかないから!!」と、とーっても元気な返事が返ってきました。心強い〜!!
怒り出したら止まらない、「ビラ折りの貴公子」、マイクを握っても絶好調! 平和への思いがつまった太鼓の音がビーマタの交差点に響きます。 あやちゃんも防寒ばっちりで参加!
北海道の大学生、さっちゃんも初参加!初めてのチラシ配りでちょっと緊張している様子でした。 でも、一台一台の車に本当に丁寧に訴えかけている様子はとっても感動・・・!その思いは必ず伝わったはず!
「名護市のみなさん、あけましておめでとうございまーす!!」 車の窓から「ぬっー」と手が出てきて、何かと思ったら・・・缶コーヒーの差し入れでした!ありがとうございます! 「楽しかったー!こんなにたくさんチラシ受け取ってもらったの初めてよ!私なんか3人の人に、お母さん頑張って!と声を掛けられたわ!」
寒い中本当にお疲れ様でした!
じゅごんの家日誌
ガイセン中、お店の大改装をしていたフルスロットルのマサ! 篠原さんからパンの差し入れ。 飲み物の差し入れをいただきました!
「店員が今日は二人なのねー」と言って、二人分になるように追加の飲み物まで差し入れてくれました!
メロンパンもいただきました! 新垣さんから大阪のお土産!
おもしろいたこ焼あられ。
夕ご飯はKさんのお誘いで、名護のお寿司屋さんへ。
たまたまお店に来たかんきちさんも一緒にいただきます! 新鮮海ぶどう。 シャコ貝
鯛の荒煮 マサは、よっぽどおいしかったのか特上うな重をあっという間にペロリ!!
←サオリの好物の茶碗蒸し!
ふくら肉厚やんばるしいたけ入り!

豚肉の血が入ったチーイリチャー。→
めったに食べれないそうです。

沖縄タイムス<2006/1/7朝刊>
住宅10戸の上空飛行/沿岸案ルート判明
政府、集団移転も検討/キャンプ・シュワブ
 米軍普天間飛行場の移設先として在日米軍再編の中間報告に盛り込まれた名護市キャンプ・シュワブ沿岸案の飛行ルートの概要が六日、分かった。複数の関係者が明らかにした。ヘリコプターが滑走路に進入するための「場周経路」はおおむね海上に限定し、固定翼機が真上を飛行する民家は辺野古、豊原両区の計十戸になる。政府高官は「地元が反発する場合は、住民の集団移転も考える」との方針も明らかにした。日本側は同案をすでに米側に提示しており、週明けの日米審議官級協議で詰めの作業を急ぐ。

 名護市は昨年に同ルートの説明を受け、辺野古集落の騒音被害の懸念などを理由に拒否しており、同案が正式合意されれば反発も予想される。

 ヘリの場周経路はほぼ海上に設定。一部が豊原区付近の陸地に及ぶとみられるが、住宅地にはかからないという。

 一方、固定翼機の飛行ルートについては、北東側に抜ける場合は安部集落とカヌチャベイリゾートの間を通過することで、住宅やリゾート施設の真上を飛ばないよう配慮するとしている。

 南西側は辺野古海域の上空を飛行。住宅の真上を飛ぶのは、辺野古区前上原の二戸と、豊原区豊原原の八戸になる。

 飛行ルートが十戸の真上にかかることに政府高官は「対象地域では百五十メートル以上の高度を保つ」として、騒音の影響が少ないことを強調。南側が海上になっているため、「沖縄国際大学へのヘリ墜落事故のような場合でも、ヘリが海に逃れることで住宅地への墜落を避けられる」と説明している。

 飛行ルートは昨年十月の中間報告直後、防衛施設庁の北原巌男長官らが名護市と県に説明。

 県に対して飛行ルートについては「豊原、安部、嘉陽の南側が入る」と説明していたことが新たに分かった。

 名護市は飛行ルートに近い辺野古集落に騒音の影響が予想されることや、十戸の真上を固定翼機が飛行することを問題視。再検討を求めていた。

”米軍基地拡張反対”命と平和の土地を守るピョンテクチキミニュース きよこさんのHPより

2006年新年, 平澤ピョンテク米軍基地拡張阻止するため
ペンソン住民がトラクターで平和巡礼に出かけました。


ピョンテクチキミの皆さん、共に参加して下さい。

はるか遠い道.... その道は生命とも同じ土地を守るための道で, 戦争を防いで平和を守るための道です。農業をして生きて行かなければならない農民たちが地を掘る農機具トラクターでアスファルトを走ります。大変で、困難な道ですが土地を守ろうとする農民の切迫した心で平和巡礼に出ます。必ず全国民の力を合わせて強制撤去を防いで、米軍基地拡張計画を撤回させましょう。

◆ 期間 : 2006年 1月 3日〜14日
◆ コース : プヨ, プアン, クヮンジュ, ナジュ, プサン, テグ, ウルサンなど全国 19個地域


ペンソン住民トラクター全国平和巡礼宣布
- トラクター全国平和巡礼に出るにあたって -

農業と米軍基地拡張阻止という二つの命題で去る2005年は考えても大変な無惨な年だった。

政府は、ひたすら土地を守り、故郷を守るという一念で闘って来た農民たちに、いまや最後の法的手段で供託手続きを終えたと言った。また協議買受ができない主要原因が、価格が合わないからという本当に虚無孟浪した理由を言って、農民たちを馬鹿にしている。今闘っている住民たちは高い価格を要求することでもなく、ただ基地移転を白紙にしろと言っているのだ。

綿々と続いて来た我が韓半島の歴史と純潔な私たちの国土を、アメリカの戦争基地に提供することによって、先祖に拭うことのできない罪を犯して、子孫万代頭をあげることができなくなる過ちは、決して犯さないということだ。

力を先に立たせたアメリカと、それに屈従する政府の役人が基地移転を終え、強行するとは言ったが、我々農民は決して屈することなく、私の土地、私の生命を守りきるということである。

この土地は、ペンソン住民の物というだけではなく、大韓民国全体の物だからだ。極寒期にトラクターを前に立たせて農業をする姿勢に、我々は全国の国土を巡礼して土地の大切さをもう一度悟らせ、平澤の問題を全国的にまたわからせることで基地移転問題は終わったのではなく、今からが闘争の始めということを宣言するところだ。

2006年1月3日
米軍基地拡張反対ペンソン対策委(委員長: キム・ジテ)

汎国民対委委員会 ピョンテク米軍基地拡張阻止汎国民対委委員会


1月6日(金)
座り込み628日目
←北海道の大学に通っているさっちゃん。今日は修さんと悦美さんの話しを聞きます。海上で闘った悦美さん、陸で闘った修さん、二人の陸と海からの視点を、テープに録音したりノートに写したり、とっても熱心に聞いていました。
最後は悦美さんが「現場で基地建設をなくすことはできないのよ。日本中が動かなくては。それを私達は待っているの」と話し、それぞれの地元での闘いの大切さについて話しました。

「3月からの闘いに備えてストレッチを毎日しているのよ〜」とびっくりするくらいやわらかい悦美さん!→
ヒサ坊さんの畑で大根をいただきました。種から撒いて、ヒサ坊さんが大事に育てた大根です! 元カヌー隊のKさんがヨックモックを持って登場!東京の方なのですが、1ヶ月に一回は辺野古に来られます。 座間の基地に反対している方々が来ました!座間には米軍の司令部が移されようとしています。アジア侵略の要が地元に来てしまうという危機感を持って、行動されています。
毎週水曜日、1:30〜4:30まで
座間基地の正面ゲートで座り込みをしています。近隣の方はぜひご参加ください!
キャンプシュワブの方向から爆音が・・。
浜に行ってみると、ヘリパッドで離発着訓練をしていました。(遠くて写真には撮れませんでしたが)
私達が浜で基地の方向を眺めていると、米軍のジープが現れました。浜にいる私たちの姿を確認して、ジープを走らせたのでしょうか。浜に着いてからほんの10分たらずの時間です。私たちが去るそぶりをするとすぐに戻っていきました。何を怖がっているのか、米軍は浜を常に監視しているようです。
今日の夕ご飯は、ズッキーニとトマトのパスタと、白菜と梅のサラダ!

サオリが中々の腕前で作りました!
晋君日誌
☆今日の辺野古〜阻止行動座り込み628日目

キャンプ座間(東京)で座り込みを続けておられる方々が来られました。
先日、女性が米兵に殺された悲惨な差別的な事件が起こった横須賀からも来られています。
この間は特に教職員の方々の来訪が目立ちます。
始業式を前に気持ち新たに職場に戻っていかれました。
現在、テント村は海辺から事務所前に移しています。来訪される方は事務所前の方にお越し下さい。
辺野古も寒くなってきています。大和ほどではありませんが、こちらに来て風邪をひかれる方も多くいますので気をつけてください。
2004年末〜2005年末までの年表。

「2004年」
04年9月9日からの海上阻止行動
11月山口洋子さんが那覇防衛施設局前ハンスト座り込み開始
11月16日作業台船襲来
11月サバニクラブによる読谷行動開始
サイレントキャンドル
12月初旬 防衛施設局の暴力によって2人の重傷者がヤグラで出る
12月13日以降近隣の海人蜂起 以降完全に作業を阻止
12月21日「名護市民投票7周年」
年末12月27日まで海上座り込み

「2005年」
年明け05年1月5日から海上座り込み再開
1月13日作業台船襲来2回目追い返す
1月20日「反戦サバニ」(サラリーマンの有志で基地建設に反対)辺野古を出発
2月6日宜野座漁港から海上パレード
2月12日「座り込み300日目」 
2月13日「300日集会」「ボーリング調査差し止め訴訟団結成総会」
2月21日「ボーリング差し止め裁判」追加提訴 海人12人
3月1日「ボーリング調査差し止め裁判」初公判
3月7日グリーンピース「レインボーウォーリア(555トン)」が応援に駆けつける
3月16日スパット台船が早朝襲来 一日で追い返す
4月16日ナゴガイセン★ダイサクセン開始
4月24日「第7回満月祭り」開催
4月26日作業を早朝に強行「24時間海上行動開始」 ヤグラに金網が張られる
5月15日「普天間包囲行動」
6月1日施設局「金網撤去」
6月9日水陸両用戦車が辺野古マナヌ岩近くで沈没
7月15日沈没した水陸両用戦車の引き上げ サンゴ礁を破壊
9月2日ヤグラを撤去
10月防衛施設局「ボーリング調査中止」を発表 日本政府「リーフ上基地建設案白紙」
10月1日ナゴガイセン☆ダイサクセン20回
10月5日市役所ランチタイム行動開始
10月8日岸本市長の受け入れ発言を絶対に許さない緊急市民集会
10月30日県民総決起大会
11月日米政府「中間報告」を発表 「辺野古沿岸案」「中部米軍基地を北部に集約」と明記
11月海上の「特別措置法」制定を日本政府が示唆
11月1日木津上人不当逮捕
11月17日木津上人釈放
11月23日辺野古市民集会
12月17日ナゴガイセン☆ダイサクセン30回
12月23日「名護市民投票8周年海上パレード」56隻が集結
12月31日辺野古で「平和の灯」を灯すイベント
☆12月中にまったく日誌を書かず、大変申し訳ありません。海上行動を終え、やっと事務所に落ち着き、年末の仕事に追われていました。
2005年を振り返ってどのような状況であったのか、そしてこの時、この状況から何をしていかなければならないのかを書いていきたいと思います。

2004年からの辺野古での阻止行動座り込みもまた新たな年を迎えようとしています。
私は辺野古に来て、5年の歳月を過ぎ、6年目を迎えています。
命を守る会は今年で10年目を迎えています。

2004年の正月は「海の上で過ごすのか」と考えていました。12月中に2人の重傷者をヤグラで出し、余談を許さない状況が続いていました。正月は束の間の休息でしかありませんでした。緊張が続いていたせいか正月、久しぶりに帰った実家はほとんど寝ていた気がします。
沖縄へ戻る時、両親の顔をしっかりと見ておこうと思っていたのを思い出します。

2005年の初めは海から始まります。

〜成人式

1月に晴れて成人を迎えました。琉球新報には「スーツをウェットスーツに着替えて成人式」と書かれていました。
周りから見るとそんな成人式は悲惨に見えるかもしれません。でも僕にとって素晴しい成人式でした。
反対協の安次富さんや命を守る会のおじぃ、おばぁ、祐治さん、海人のかっちゃん、まよなかしんやさん、二見以北の人々、世界中の平和を願う人達に囲まれた成人式なんてあるでしょうか。僕は幸せ者です。
それは僕の糧、僕の意地、僕の希望、全ては自分らしく生きる力に繋がっていきました。最後は辺野古の若者達に海に投げ込まれてスーツがぐしょぐしょになりましたが、ご愛嬌です。親も喜んでくれていると思います。

〜05年3月世界への広がり
辺野古基地建設問題が日本中へと広がりを見せ続け、北海道、東京、大阪、名古屋、京都、兵庫、大分に20代を中心とした行動が立ち上がりました。
この波紋は「自然保護」と「戦争」の観点から世界にも広がりを見せました。
「グリーピース」3月の初めには国際的自然保護団体グリーンピースが555トンの阻止船「レインボーウォーリア(虹の戦士号)」を辺野古沖に走らせ、一月間、作業台船を辺野古沖に入らせませんでした。
「アメリカ」アメリカでは沖縄県人会の人々の手によってホワイトハウス前での抗議行動、労働組合(ユニオン)の人達による抗議行動、キリスト教会関係者による抗議行動へと発展しました。
「フィリィピン」フィリィピンの人達も「55人もの同志が米軍によって1年間の間に暗殺された」という緊迫した状況の中で駆けつけてくださり、阻止行動に参加しました。
「韓国」メヒャンニ射爆場の閉鎖を勝ち取り、ピョンテクでの米軍基地拡張阻止を戦っておられる人達が辺野古へたくさん駆けつけてくださっています。
「ネパール」王政の政治運動家への大弾圧の中でその状況を知らせるために、そして辺野古の闘いに加わるために駆けつけてくださっています。

〜05年24時間阻止行動
04年の海人達の立ち上がりによって一切の作業を阻止され続けた防衛施設局は4月の中ごろにいきなり早朝(夜)の強行に踏み切ります。24時間の阻止行動が開始されます。
ヤグラに3日間へばりつき約72時間陸にはいませんでした。風呂は海の海水を浴びて過ごしました。
3日後、「さすがに限界」と思い、無線で「夕飯の時に陸に上がりたいのですが、」と言うと「大丈夫、今、夕飯持って行くよ!!」と本部。お互いに疲れていると噛みあいません。
“ヤグラに人がいなくなると強行”何度か油断した時に強行があり、その度に真夜中でも飛び込んでいました。
夜間問わず海上に出されている作業員の皆さんからも疲労の声と悲鳴が聞こえていました。
私達が「X-ファイル」と呼んでいた防衛施設局の警備隊は罵声を昼、夜問わず浴びせてきていました。
辺野古の若者達の良いところは「闘いを楽しむ」努力をしているところ。いくら罵声を浴びせてきても、24時間になってもその厳しさに負けずに闘ってきました。
24時間を日々、夜に人がいない時には昼行動した人間が、船長は昼、夜問わず阻止行動を続け、一切の作業を阻止しました。
6月に耐えかねた施設局はヤグラに張った鉄網を撤去します。施設局が行ったことはさらに反感を買い、基地建設反対の声は沖縄県内で8割を越します。
施設局、国がここまで強行策に出ながら、されど最終手段に踏み切れないのはこの8割もの反対の声、そして沖縄の闘いの歴史が日米政府を震え上がらせているからです。
「これ以上やったら、島ぐるみの基地撤去の運動になってしまう」という恐怖。
☆2005年を振り返って〜A(長くてすみません。)

〜ヤグラ撤去
9月2日、防衛施設局は04年の9月9日から約1年にしてヤグラを撤去しました。
防衛施設局はヤグラの撤去を「台風の時期のため」としましたが、1年間のこれまでの激しく、厳しい闘いの中で一切の作業を阻止してきた結果であり、勝利だということを確信しています。
10月に日本政府は「リーフ上基地建設案白紙」を発表します。97年の「SACO合意」で出された「案」を白紙に戻すという前代未聞の状況が訪れました。
97年当時政府は「SACO合意は動かない」「必ずリーフ上に基地建設を行う」としていました。
現在の再編問題における韓国、沖縄、日本の核をなしている韓国の「ピョンテク」、沖縄「辺野古」、東京「座間」においてその根幹を揺るがしている状況なのです。
本来であれば政府はこの時点で「負けました。基地建設は止めます。」と言うべきですが、それどころか11月に「中間報告」を発表し、「辺野古に沿岸案」を行なうとしました。
日米政府がそこまで辺野古に固執するわけは多くあります。
1つは「これ以上辺野古の闘いの広がりはまずい。勝利したという原点を生み出したら、現在の再編、戦争の準備に対する人々の怒りに火をつけてしまう。」
2つは「戦争の準備、日米安保の強化は日本政府にとって死活問題。それを基地建設反対によってひっくり返されてはおしまいだ。」というものです。
政府はそこまで追い詰められているということに他なりません。
私達は美しい海を取り戻したのです。今、海上にヤグラはありません。この時は私達が勝ち取った時間なのです。辺野古、沖縄、全国、全世界の力によって。

〜特措法
「中間報告」と合わせるように海上の「特別措置法」の制定を政府は示唆しています。
現在の沖縄は有事法制が制定される以前から空を嘉手納ラプコンによって軍事的に支配されています。
70年代〜現在にかけて「基地を生産の場へ」と訴えての反戦地主会、一坪反戦地主会の皆様の闘いは政府を震え上がらせます。
94年、反戦地主の方達が米軍用地借用の延長契約を拒否します。そのことによって政府は事実上土地の権利を喪失し、県知事に代理署名を求めますが県知事も拒否します。
97年そのことを受けて政府が「米軍用地特別措置法」の改悪を強行しました。
「地主、県知事の承認を必要としない。米軍が政府の承認を得れば土地を接収出来る。」
県知事と住民には権利は持たせないという沖縄への植民地的な扱いに強い憤りを覚えます。
そして今度は海までも米軍基地に差し出されようとしています。これこそ、沖縄への究極の差別です。絶対に許せません。
そして、特措法の国会への上程は4月、5月だと言われています。
絶対に止めなければならないと考えています。

〜沿岸案
1966年に作られた辺野古沖海上基地建設マスタープランの中で、米海兵隊は巨大な飛行場建設と海兵隊専用の軍港建設が必要だと米政府に要請しています。
60年代の沖縄ではベトナム戦争を止めるための沖縄のうねり、コザ蜂起などに見られる激しい闘いはその基地建設を政治的に潰していたと言っても過言ではないでしょう。
しかし、イラク攻撃に踏み切り、戦争の時代へと突き進む中で海兵隊の「基地建設」は米政府にとってどうしても必要となっています。
リーフ上基地建設案を完全に阻止されたことで日米政府が苦し紛れに出して来た「沿岸案」。
「沿岸案」を出すことで見えてくるものの一つは再編(戦争の準備)において辺野古に固執せざるを得ないこと。
そして”海人”の立ち上がり、自然保護の盛り上がりは米政府が無視出来ないものとなっています。その動きと辺野古の闘いを切り離すために「沿岸案になれば自然破壊が軽減される」などと言っています。
自然保護団体の方々は「自然が保護される。じゅごんが保護されるといったことは”沿岸案”ではありえないことだ。」と話し、海人は「来るなら来い!!どんな案であろうがわったー海を破壊することに変わりはない。何度来ても必ず阻止する!!」と話しています。

最後に政府は沖縄の9割の反対する動きが明確にありながら「沿岸案」を出してきていることがあります。
政府が戦争をしなければ経済がもたない状況の中でだした結論だと言えます。
「国益を守るためにはどんな犠牲も構わない」「平和運動を行なっている人間を叩き潰す」
自衛戦争の名の下で行なわれようとしている憲法の改悪や侵略の準備これは政府の「沖縄戦を繰り返しても構わない」という姿勢から来ています。

海人が言った言葉「いつでも来い!!何度来ても叩き潰す!!」この声がある限り、僕達が声を上げ続ける限り、僕達の未来を政府なんかに支配させやしない!!!沖縄への差別は絶対に許さない!!






1月5日(木)
座り込み627日目
この美しい海を守るため、沖縄辺野古で今日もまた新たな座り込みの一日が始まろうとしていた・・・・ 「やがてぇ・明けましておめでとうございます。」当山村長、10日ぶりの登場です!!! 京都から、宇治・母親連絡会の方達が来られました。朝から相当の高テンションです。
那覇からカップルで辺野古へ。篠原さんの話を一時間半聞いた後、晋の話を二時間ほど聞いた彼ら。ツワモノです!!! 晋と同い年の彼ら。彼の方は今日大学で東京に帰るとのこと。また来てね! マサは貝拾い。最近、ヘンプ物にハマっています。
当山さんがお昼を作ってくれました!嬉しいっす!!! ひさぼーさんの鳥汁。めっちゃ鳥入ってますよ。 もぐもぐ。
「おい、みんな。このライフジャケット片すから手伝ってや。」
ユウジさんのこの一言で、「テント村大改装」が今、幕を開けた!
「よっしゃ、ここどけよ。」入り口近くにあった物が次々とまとめ上げられ→ ごちゃごちゃだったビニールシートは、一箇所にまとめられ→
入り口近くを片付けたものの、何か納得がいかない。何かが物足りない。みんながそう感じていたはずだ。→ そうだ! ここに!
座敷を! つくるんじゃー! 邪魔な棒もあっりっつっつ→
はいっ→ はいっ→ はい!
そんなこんなで、改装は無事終了。みんなが一丸となって場を良くする、充実した一日でした。座れるスペースも大幅にアップ!じゅごんの海を守りたい方、どんな大人数でも大丈夫です。テント村でお待ちしています(^−^)」。




12月の末にジュゴンハウスに来た、ピョンテクの基地拡張に反対しているイ・キョンアさんからメールが届きました!!内容は、きよこさんが訳してくれました。ありがとうございます!

こんにちは。

ピョントンサのイ・キョンアです。

新しい一年が始まりました。新年には福をたくさん受けて、幸せでお元気で。また、今年一年辺野古の闘争とピョンテクの闘争を力強く実践しながら、米軍基地のない沖縄とピョンテクを作っていけたらと思います。

ピョンテクのニュースをお送りします。

政府が強制に土地を奪うことに対して抗議し、国民に知らせるため昨日(3日)、ピョンテク住民の方々が、トラクターに乗って全国巡礼に出かけました。3日から13日まで全国を回り「ピョンテク米軍基地拡張反対」を知らせて、命と平和の土地を国民皆が守ってくれるように訴える予定です。とても大変な行程になると見られます。

命のような土地と平和を守るためのピョンテク住民たちの闘争に、関心と連帯をお願い申し上げます。


平澤の闘いに連帯して、名護で平澤基地拡張阻止ドキュメント上映会&報告会を行ないます。
自分たちの土地・海を国の横暴から守るため、そしてこれ以上アジアへの侵略戦争を許さないため、平澤と沖縄がつながっていく必要があります。平澤の問題は沖縄の問題であり、沖縄の問題は平澤の問題でもあるのです。米軍基地を追い出し、平澤と辺野古が共に勝利するために、1・14平澤・沖縄連帯集会への参加を呼びかけます。
韓国(平澤)−沖縄、同時行動・連帯集会
“届け沖縄から、平澤(ぴょんてく)・テチュ里へ”

日時:2006年
114日(土)(平澤ろうそく集会500日目!!)
                
午後2時から

場所:
名護市労働福祉センター(名護市港)

内容:ドキュメント上映「今、平澤が危ない。」
   平澤・テチュ里 平和行動参加報告


1月14日は国際行動デーとして、沖縄のほかに、フランス・ブラジルでも集会が行なわれます。



1月4日(水)

座り込み626日目
辺野古座り込み。今日も穏やかな一日が始まりました。ぽかぽか陽気の暖かな日です。 イラクで人質になった高遠さんの講演で司会を務めたえびちゃんのスピーチに感銘して辺野古に来た御夫婦。 いつになく真剣な晋。辺野古座り込みの原点である「命を守る会」の事務局の仕事をこなします。眉毛がいい感じ!!!
大西さんの提案でムーチーを作ることに。裏山で月桃の葉を取るカンキチさん。がんばれ!!! 米粉を水で練るだけ。とてもシンプル!好みで砂糖やお芋を入れても良いらしいです。 「この葉っぱにうまい具合に包むのじゃっ!!!」と大西さん。
蒸すこと、一時間ほどでほかほかのムーチーの出来上がり!香りがたまらなく良いです(^0^)」 カンキチさんが試食。出来立てが最高!でも、干しておけばかなり日持ちするらしいですよ。 若者達にムーチーの極意を伝え終えた大西さんはテントで一休み。
いか。 大西さんの持ってきてくれたイカを焼いていたところ、突然ひさぼーさんがハサミで捌き始めました。どよめく外野。瞬く間にスルメ状態に。 そんなこんなで、大西さんの作ってくれたイカのソテーで軽い昼食。うまみ全快!!!ほおばる晋。
ここ三日間、北海道の大学から来てくれているさっちゃん。待望の晋と初対面。マリーンズ・ゴー・ホームを見て辺野古に来てくれました。 「おい、坊主。わかるか?人生ってなぁ甘かねぇんだよっ。」とは言ってませんが、仕事でやってきた事など色々な話を聞かせてくれるモリさん。 土田さんも年始の挨拶に来られました。
←カンキチさんからレタスの差し入れ。あ、朝と服が違うっ!?

さっちゃんがご来店!これからもヨロシク!!!→




1月3日(火)

座り込み625日目
お正月は座り込みはおやすみ。命を守る会もヘリ基地反対協も平和市民連絡会も、ずっーとゆっくり休みがとれなかったから。お正月だけ、ちょっとだけのお休みです。でも、個人の参加者はちらほらと。それぞれ手紙を書いたりアクセサリーを作ったり。
遠方から休みを利用して来る人がいます。ここで起こっていることを伝えるために、休んでられない、みたいです。
新春早々差し入れだらけ!クッキー、バナナ、みかんにドーナッツ!
夜は、安次富さんのお宅にお邪魔して、ご飯をいただきました!!
いただきまーす!! 超豪華お寿司!!
骨までおいしいソーキ汁と五穀米ご飯とお母さんオススメの大宜味産のドレッシングサラダなどなどたくさんのご馳走をいただきました!
安次富一家と記念撮影。
ヨッシーとじゅごんの家のCDお買い上げいただきました!!
今日は本当にごちそうさまでしたー!



 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と600日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。

 ご協力をよろしくお願いいたします。
 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、
1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子

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